山のように積まれた黒いファイルと、ちょうど余白を半分ほど埋められた紙きれ。その間に居心地悪そうに置かれていた左腕を沖田は掴んだ。よっこらせ、とのんびり言いながら、胡座をかいた自分の足の上まで持ってくる。
左腕の主は、訝しげな視線を斜め後ろに座っている沖田に投げたが、体力の消耗を避け、青黒い隈ができた目をすぐに元の紙切れに戻した。おい、離せよ。この数時間、煙を消費するだけだった唇はかさついて上手く開かず、最初の一音は聞き取れないくらい小さかった。沖田は聞かず、手の中で今しがた手に入れたおもちゃを転がしている。
ねぇ、噛んでいいですか。いいわけねぇだろ。ふぅん。部屋に舞う埃が陽をあびてキラキラ光るように、表面上とても穏やかに交わされた中身の無い会話は、二人きりの副長室で静かに浮いていた。
睡眠不足と過剰労働と喫煙で、骨張った土方の指先は痺れたように冷えている。そしてうっすら汗ばんでいる。対して沖田の手は、見た目は青白く不健康だが、あたたかく、指先は少し乾燥している。二人とも、見た目とは異なった感触の皮膚をしている。
指紋の広がりに沿って撫でるように、沖田は土方の指先一本一本をかまう。かまいながらゆっくりと自分の唇に近づけ、息がかかるくらいの近さまで持ってくる。そこまで近づくと、土方が気付いて腕ごと取り返そうとする。けれど沖田は指に力を込めてそれを阻み、また指紋をじっくり撫でながら唇に近づける。それを一時間ほどかけて3回繰り返した。
そうして、残りわずかな体力を書類に注ぎ込みたい土方が、左腕を取り戻す事をあきらめた頃、沖田はやっと土方の左の人差し指を、上顎の犬歯とその下の歯の間に出来た隙間にそっと置いた。力を入れずゆっくり下顎を動かして、隙間をじわじわと狭める。
これは愛情だ、と沖田は思う。思いながら今度は、少しずつ力をこめて口の中の指に歯を沈み込ませる。沖田の口内に隠された人差し指は、生ぬるくじわじわと温度を上げ、もう半時もすれば彼の舌と同化してしまいそうに思えた。しかし、これは噛み砕いて飲み込みでもしない限り、異物のままであり続けることを沖田は知っている。
やんわりと顎に力を込めると、血の代わりに煙のにおいが口の中に広がる気がした。そしてそれを感じる度、沖田の目の中で光がはじけた。
目を爛々とさせ始めた沖田を見遣り、土方は沖田の赤い口から生えている自分の指を観察する。そして、いっそ沖田がこの指を噛み切ろうとすればいい、と思う。そうすればもっと。
目の中で燻る赤を隠しながら、土方はゆっくりと煙を吐き出す。
本当は今すぐ沖田の髪を掴んだっていい。土方はそう考えている。けれど土方の右手は煙草に、左手は沖田に捕まっている。