左足の小指あたり、あそこらへんがすごく寒くて目が覚めた。だけど起き上がりたくなくって、どうにか体をはみ出すことなく毛布の中にしまえないかと奮闘しているうちに、ここが自分の家じゃないって気がついた。だって俺の毛布から跡部のにおいはしない。


これが跡部の毛布だってわかった途端、胸にビリビリと電気が走ったみたいになって思わず飛び起きた。今まで寝ていた真っ黒い皮のソファーに、俺の涎が小さな水たまり作ってるのを見つけて、バレたら怒られるからパーカーの袖口で適当に拭いた。服と皮のこすれる音を聞きながら顔をあげる。やっぱりここは跡部の部屋だ。
いったいどういう流れで、俺がここで眠っていたのかはさっぱり思い出せない、けど、目が覚めたのが跡部の部屋だっていうことが、何だかすごく嬉しくて、わくわくしながら部屋を見回した。でも、ふわふわの大きなベッドにも、アンティークのデスクチェアにも跡部はいなかった。
部屋の電気は間接照明を含め全て消えていて、カーテンの向こう側からも光が入ってこないところをみるともう夜らしい。もしかしたら俺と跡部は約束か何かしていて、それで俺はここに来て、なのにずっと眠ってしまって起きないから、跡部は呆れてどこかに行ってしまったのかもしれない。


考えているうちに自分の想像が現実のような気がして、さっきまでのわくわくした気持ちはくしゃくしゃに萎んで、まるで置いてけぼりにされたような、寂しい気分になった。
けれど、そのまま帰ってしまうのも、もう一度寝てしまうのも惜しくて、ソファから降りて暗い部屋の中をぐるぐる歩きまわってみる。
(いまここに、あとべがいたらなー)
歩きながら寝ぼけた脳みそを働かせて、記憶に焼き付いた跡部の顔を丁寧に、でもありったけかき集めてひとつひとつ思い出す、怒った顔、馬鹿にした顔、びっくりした顔、意地悪そうな笑顔、そしてごくたまにする、困った顔。
(あとべ、あとべ、あー、やばい、会いたい)
うんうん唸りながら部屋を一周し終えそうになった時、スタート地点である黒いソファの近くにある、大きな鏡のはじっこから足首が見えてぎくりとした。恐る恐る、近くによっていって覗き込んでみると、大きな鏡に隠れるようにして、跡部がひっそり眠っていた。


「あと、」
おかしなところで寝ていることに気がついて、呼びかけた名前が思わず引っ込む。こんな冷たい床の上で、普段なら行儀の悪いことをひどく嫌う跡部が、眠っている。
めずらしい、と思うと起こすのがもったいなくなって、音を立てないようにそっと隣に座った。右隣の、ほんの少しだけ口が開いた寝顔を見つめる。
(指つっこんだら怒るかな、怒るだろうな)


並んで座ってみたのはいいけれどする事がまるでなくて、跡部にしてみたいイタズラを幾つも思い浮かべてみたけれど、それにもすぐ厭きてしまって、もう起こしてしまおうか、と再び隣の横顔に視線を向けた時、気づいてしまった。部屋の端っこの冷たい床に座って跡部が見ていたもの、見たかったもの、ここから見える跡部の世界。


離してあげようと思ってた。跡部からは言わせられないと思ってた。
いつかそういう時がきたら。そしてそれを跡部が望んだら。笑ってさよならして、何もなかったみたいにしてもいいって思ってた。友達に戻って、一生跡部の事を何とも思ってないフリしていることだって出来るとさえ思ってた。跡部が苦しむくらいなら、俺と過ごした時間に罪悪感なんて持つくらいなら、俺から離してあげようって思ってた。ほんとうにそう思ってたんだ。


「跡部、ねぇ跡部、起きてよ」
「……、……ジロー?」
「うん、そう、ねぇ跡部起きてよ」
「あぁ?……オイ、てめ、……ジロー、それやめろ」


まっさらだった眉間に何本も線が刻まれていく。刻んだのは俺。跡部を苦しめるのは俺。でも幸せにできるのだって俺かもしれない。それってすごくどきどきする。
嫌がって逃げる跡部の頬に何度も何度もキスをする。押しのけようとする手を捕まえてそれにも音を立ててキスをする。寝起きでかすれた声で抗議するも、全く聞き入れない俺に観念したのか、跡部は小さい子ども相手にするみたいな、柔らかい溜め息をついて大人しくなった。ので、調子に乗って頭ごとすっぽり抱きしめる。
小さなうめき声の後に凶悪な舌打ちが聞こえる。でも離してあげない。気づいてしまったら離す事なんて出来ない。跡部の目に映る、守られた俺の世界。跡部が今大事にしているもの。
しばらくしても腕の力を緩めない俺の髪を跡部が引っ張っる。そのまま引っ張られて跡部の顔を覗くと、不機嫌な強い瞳にぶつかる。
そうだった。こいつは跡部だ。欲しい未来はどんな手段を使っても手に入れる、そのための労力を厭わない。絶対に逃げない。跡部景吾だ。


「オイ、いい加減にしろ!」


俺と跡部の大切なものが今、全部この腕の中にあるんだと思ったら目がチカチカするくらい幸せになって、顔がにやけて、つり上がった眉がさっさと離れろと言っていたけど見なかった事にして、心臓が飛び出ちゃうくらい力をこめて抱きしめた。