すっかり冷たくなってしまったおしぼりの上に顎をのせて、沖田くんは小さなため息をついた。彼の顎の下にしかれたおしぼりの、さらにその下にある古い木製のカウンターを伝って、切なさがこっちまで染みてくるようだ。
めずらしく丸まった背中が頼りない。

切なさにアルコールをたっぷりと注ぎ込んだ沖田くんは、その無駄に整った顔にある、これまた無駄に整った眉をハの字に下げ、夏でも汗なんかひとしずくだってかかなそうな眉間に小さな皺をつくる。
その皺を人差し指でなでてのばしてあげたい衝動にかられるが、そんなことは俺に求められていないので、ていうかそんなことをして、俺の人差し指からよからぬ感情が伝わったりしたら怖いので、ハイペースに空になる隣のグラスに酒を注ぎながら、すっかりしょげた横顔をちらちら盗み見ている。
指が落ち着かないのでそろそろ帰りたい。


「何かこう、もやもやっとすんでさァ」

「なに、略奪愛に今さら良心が咎める、とか?」

「俺がですかィ? まさかァ」


眉を下げたまま言った『まさかァ』の小さい『ァ』のあたりに、隠しきれなかった弱い心が滲んだ。結局、沖田くんは優しい。とても優しい。それを認めない頑固な意思が沖田君自身を追い込んでいく。
たぶん、俺と知り合うずいぶん前から欲しくてたまらなかったものを、最近になってやっと手に入れた沖田くんは切なそうだ。手に入れる前より、ずっと切なそうだ。


「それにねェ、あれは最初っから俺のなんですぜ」


あと30分もすれば迎えにくるであろう、ヤニくさくて過保護で、でもやっと手に入れた恋人であるあの男のことで、沖田君はたまにこんなふうになる。お付き合いする以前より少し優しい手つきで頭を撫でられるらしいことや、以前とは少しトーンが違う声で呼ばれることに戸惑っているからだと思う。慈しまれたいわけでは、きっとないのだ。

秘密を打ち明けるように、顔を寄せて囁く、その瞳はいろんなものが混ざりあってでぐるぐる燃えていた。そのぐるぐるの中で、沖田君はまだひとりぼっちなのだろうか。





ぐだぐだに酔った頭で馴れない事を考えていると、立て付けの悪い引き戸が開いて、見知った顔が入ってくる。しかしそれは俺たちが待っていた人物ではなく。


「あれっ、旦那とご一緒だったんですか?」

「お〜山崎じゃねーの。もしかしてもしかしなくても沖田君のお迎え? ほんっとにお前らは過保護でいけねーよ。そんなんだからこんなドSに育っちゃうんだよ? 体当たりして崖から突き落とすくらいの厳しさが必要だよ」

「いや〜俺がっていうより、保護者二人がうるさくて…」


普段ならここで鉄拳か椅子の一つでも飛んでくるだろうと身構えた山崎が、降って来ない人災に不思議な顔をして、沖田君を見、俺を見、それから一瞬気まずそうな顔をして、へらりと笑う。
カウンターに突っ伏したままの沖田君を隠すようにして、帰りは俺が送るからだの、再教育が必要だの、山崎に喋る暇を与えず喚いて店から蹴り出す。それならお願いします、と上目遣いに心配そうな顔をしたので、本当どうしようもねぇよお前ら、と思った。本気で心配してるお前も、よりによってお前を迎えに寄越すあいつも、この二人を憎めない沖田君も、そんでそんな沖田君から目が離せない俺も。


あーもう本当どうしようもねぇな、と思いながら席に戻ると、突っ伏したままの沖田君の肩が少しはねた。突っ伏したままのくぐもった声で、すいやせん旦那、と言った。

そんなこと言う沖田君を毛布にくるんでだっこしながら眠りたいなぁと思って、あれ、もしかしておれが一番どうしようもないかも、とか気づいてちょっと帰りたくなった。帰らないけど。









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土山を土沖にしようとしたら銀沖に着地する不思議