あっと思ったときにはもう遅かった。
気付いたときには瞳に分厚い膜が張っていて、瞬きどころか空気が少し震えただけで今にも零れてしまいそうだった。
こうなると結果は分かりきっているのだから、思考がやわやわとかたちをつくり出す前に全てを遮断しなければならない。いったいどんな滑らかさで、未だ自分と一つであるこの液体が、自分に見切りを付けて畳に落ちていくのかを、髪の先まで神経を尖らせて知らなければならない。訪れるその瞬間を逃さず迎えるためにひとり、息を殺して待っている。
いよいよまつげが涙の重みに耐えきれなくなってきた時、咎めるような強さで手首を掴まれた。かき集めた意識がばらばらに散っていく。
そのせいで沖田が待っていたような、たっぷりとした美しい別れの気配は消えてしまった。咄嗟に顔を上げてしまったせいで、頬から顎へかけて逃げるように滑り落ちてしまった涙の跡があるだけだった。それでは何の意味もなく、空っぽになって焦るばかりだ。しかも、手首は未だ掴まれたまま。
どうした、土方が手首を掴んだまま口を開く、掴まれた手首を見たまま沖田は返す。どうもしやせん。どうせアンタにはわかんねーだろ。すると今度はこの男の美点で、汚点でもある生真面目さが顔を出す。何でお前に分かることが俺には分からねぇと思うんだ?
悪い事ではないはずだ。少なくとも沖田の中では悪い事ではなかった。
日常が重なって傷が埋もれてしまわないように、閉じかけた傷口に爪を立ててかさぶたを引きはがす。痛みが消える事を恐れる。癒える事を恐れる。傷の在処は眼に見えないし気配も容易には探れない。今日のように突然生まれた涙だったり、眠る前の孤独だったりする。沖田はそれをつかまえたかった。つかまえて、飲みこんでひとつになりたかった。けれどそれは叶わないことなので、こうして蒸し返しては、通り過ぎて行くものをつなぎ止めるために、忘れないように、何度も心を引き破る。
しかし、それはあまり思うようにはいかない。じっと息を殺して悲しみが訪れるのを待っているのに、運悪く土方に見つかってしまうのだ。端から見れば大人しく座っているだけにしか見えないだろうに、土方はそれに気づくのだ。
掴まれた手首が熱を持っている。この男はこんなに体温が高かっただろうか。あの人は、どんな温度だっただろうか。思い出そうとすれば、総悟。堅い声が咎める。土方は咎める。沖田が傍を離れようとすることを咎める。自分は人のせいにして手を離すくせに、とんだ自分勝手の甘ったれ野郎だ、と沖田は思う。そして問う。
じゃあ、あんたは怖くねえの?
さっきまでそこにあった悲しみが薄れてしまう事が。あの人の声が思い出せなくなる事が。俺は怖い。だって確かにあったのに。
ひりつく喉で問いかける。土方は答えないし手を離そうともしない。熱がゆっくりと沖田を浸食する。それが何より恐ろしいのに。